ここでは、見た目も会話も全てがヒント。初デートで相手を丸ごと大解剖!の「2時間あれば観察できるチェックポイント25」を紹介します。

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●メール
□ 待ち合わせの時間や店のジャンルなどを、わかりやすく伝えてくれる
□ 昼休みなどの空き時間に送ってくる
□ 文章がシンプルで、スクロールしないで済む量

●服装・持ち物
(持ち物)
□ 財布が無意味なカードで膨らんでいたりしない
□ 手帳や財布がいい感じに使い込まれている
□ これみよがしではないが、年齢相応のいい時計をしている
□ ビニール傘でない、高級感のある傘を持っている
(服装)
□ ぱっと見で「似合う」という印象を与える
□ サイズが合っている

●話題
□ さりげなく時事ネタを話せる
□ 長い付き合いのある友達が、話題に上る
□ 親や兄弟についてオープンに話す
□ 熱く語れる得意分野を持っている
□ 仕事の話をしだすと止まらない

●仕草・表情
□ 合った瞬間、嬉しそうな表情を見せる
□ 大げさなリアクションはしないけれど、的確に相槌を打つ
□ どこかにぎこちなさがある

●タイムマネジメント
□ 待ち合わせ場所に早めに着いている
□ 22時半か23時には解散
□ 移動時間を正確に読める

●コミュニケーション
□ お店の人と楽しい雑談ができる
□ 動物や子どもと仲良くなれる

●食事の場で
□ 自分の食べたいものがはっきりしている
□ ドアを押さえてくれる。あるいはメニューを先に渡してくれる
□ 携帯を鞄の中にしまっている

ですって。こんな目でチェックされたら全敗間違いなし!(笑

私の印象では、メーテルといえば、「いつも肉を食べてる人」であった。
長い金髪で静かな笑みを浮かべ、優雅な物腰で注文する「ビフテキ」の強烈な一言は、すごいギャップで、子ども心に「しびれるなぁ」と思ったものである。

そこで、彼女がいかに肉を愛してきたか、『銀河鉄道999』(ワイド版・全14巻)で確認してみた。
まず1巻第1話で、いきなり「ビフテキ」を注文。3巻第1話では、ビフテキを食べる鉄郎に「おいしい……? 鉄郎」と、まるで自分は関係ないような素振りだが、次のコマにはすでに食べ終わったらしき鉄板がある。メーテル、早食いだ。
3巻第6話では、エメラルダスとの対峙を前に、
「体力がなくなると気力もなくなって死ぬことになるかもね。ビフテキを食べましょう」。
やはり「強そうな」叶恭子さんも、「お肉は毎日食べますわよねぇ」とテレビで言っていたのを記憶しているのだが、やはり肉を食らうということは、大事なのだろうか。もちろん“グッドルッキングガイ”に囲まれていますし。

身長話で一番驚いたのは、笠木忍が165cmもあった事
長期間、宇宙に滞在した宇宙飛行士の報告によると、彼らが地上生活に再適応させていくときに、一番困難に感じることは、物体を手離すと落ちてしまうことだそうです。
gkojax:


yasunao:


beachoice:

yukko:

mouth-to-mouth:

mcghoogle:

sexontoast:

queervoltage :rumpledoodles: out-of-my-dreams: gatekeeper: myfengshuilife

HAHAHAHAHHAHHA YAY

175 可愛い奥様 sage New! 2008/06/29(日) 00:58:35 ID:QPHLl3V50
>161
冤罪DV問題(離婚ビジネス)のカラクリに近いと思いますよ。

まず移民受け入れで外国人がどんどん増えるでしょ。
そうなると確実に外国人による犯罪、性犯罪が増える。
このままでは治安悪化は外国人のせいにされちゃうわけですよ。
しかし、これは多くの移民を入れたい仕掛け人側にとってはまずい。
そこで児童ポルノ法でもって、単純所持や漫画アニメ等実害がない
軽犯罪で日本人男性による性犯罪をどんどん増やすわけです。

そして、マスコミは実害のある外国人の性犯罪をできるだけ
隠蔽する報道を行いつつ、ほぼ実害のない児童ポルノ単純所持で逮捕した
日本人男性のことをさも大問題であるかのように大きく報道するわけです。
さらにフェミが日本人の男女でいがみ合うような方向に煽ることで、
問題の本質である外国人犯罪へ目を行かせないように仕向けようということでしょう。

お茶を入れる時に使う急須。あれの注ぎ口の先端にビニールが付いて売っているが、あのビニールの役割は、運搬中に欠けない様に保護しているんだとか。
で、使用前には取らなければならないんだとか。

私は”温厚な”と言う表現が大嫌いである。温厚な人といわれる人を見てきたが、殆ど、

自我が確立していない人、すなわち自分の主義・主張・定見のない人、
なんでもあいまいにして一時しのぎで逃げる人、
その場その場の雰囲気に合わせて適当な絵を描く人、
一見物分りの良さそうな言葉を発し問題の先送りをしてしまう人、
要は聖徳太子が言う「事理を明らかにしない」人で、
本当は卑怯な人のことである。

聖徳太子のいう「和を以て貴しと為す」は「事理を明らかにすれば、争い事は収まる」という意味である。しかし殆どの日本人は意味を吐き違い「事理を明らかにしようとする人を“理屈やで協調性がなく、和を乱す協調性のない人”と逆の解釈をしている。

『ヱヴァ:破』で上映後拍手が云々みたいな話題があったけど、この前ヤクザ映画見に行ったら上映後拍手をしたいヤクザと作品の余韻に浸りたいヤクザが隣同士で座っていたようで、前者が特大の拍手を披露したら後者がブチギレてそのまま殴り合いに発展し劇場が映画の延長の世界になって感動したなー。
Twitter / WAFL (via hetmek) (via jinon) (via tfujiki)

単にオーガニックだというだけでは品質がいいことを意味しない。味そのものに語らせろ。

オーガニックがいいと主張している人たちは、そうでないものが有害薬物漬けであるかのように、世界を白か黒かで分類する。しかし純粋な有機栽培と無制限な薬物使用の間には膨大な範囲があり、実際の農業はその中で行われている。有機栽培かどうかはあなたが購入の際に検討する項目の一つであるかもしれないが、唯一のものではない。私にとっては旬や産地やそしてそれら以上に味が大事だ。オーガニックだからといって全てが上手くいくわけではない。悪い有機農業実践者もいれば農薬や肥料を使いながら素晴らしい農家もいる。農業振興には有機かどうかが大切な問題ではない。

(長い記事。LATimesの記者が書いているようだ。真面目に取材すればこういう記事になる。)

Twitterの140文字の制限が実はテキスト・メッセージの制限から来ていることは広く知られている。テキスト・メッセージで扱えるのは160文字までだ(Twitterは20文字をユーザー名のために必要としている)。しかしではテキスト・メッセージの160文字の制限はどこから来たかご存知だろうか?

数か月前、LA Timesが面白い記事を掲載した。 現代のテキスト・メッセージの生みの親ともいうべきFriedhelm Hillebrandの話だ。彼は90年代の半ばに、まとまった意味を伝えるのにどのくらいの文字数が必要かをタイプライターを使って実験しているうちに160文字という数字がいわばマジック・ナンバーとして繰り返し現れることを発見した。当初、当時のSMS規格委員会は納得しなかった。しかしその後の調査で、葉書に書かれた文章のほとんどが150文字以下だという事実を発見するに及んで、160文字という上限を採用したという。

おわかりだろうか? Twitterの文字数制限を短すぎるとか恣意的だとか思うユーザーは多いだろうが、実はこの制限は、以前から世界できわめて広く利用されている2つのコミュニケーション手段から引き継がれたものなのだ。

「この人なら私を幸せにしてくれる」と思った人じゃなく
「この人となら一緒に苦労してもいい」と思える人と結婚しなさい
ってばっちゃが言ってた。
基本的には、イエスや仏陀が退けた「人間の何らかの『正しい』営みが、その人に返ってくるという『御利益主義』」がカルトの典型

十五年ほど前からあるブームに「ラーメン」がある。
十年前ぐらいだったろうか、ラーメンブームの渦中にあって、中野にある『青葉』の開発した「魚介系スープと動物系スープの“ブレンド”」というアイデアは余程ロックであったし、お笑いであった。

出し抜けにおかしなこと言ったが、私は正気だ。むしろ出汁抜けである。

今となっては、ラーメンに期待しない時代がかつてあったのが信じられないほど、我々はラーメンに期待するようになった。それがブームというやつである。

『青葉』のブレンドスープはまるで、長調と単調とが入り交じるモーツァルト、もしくはビートルズのような音楽的アプローチに思え興奮したものだ。
やがて「ラーメン」はジャンルとして格段に面白くなり、底辺は拡大、味もずいぶんと美味くなった。

つまり「ラーメン」はベンチャーだったのである。

ビートたけしやタモリという「異質」がお笑いの可能性を拓く以前のお笑いは、いわゆる“ダメなジャンル”であった。
ビートたけしが浅草へ出向いたのは投機目的である。タモリはお笑い自体を他ジャンルの文化人達とからかいまくり、笑いのめした。

彼らは言ってみれば「ラーメン屋」を創業したオヤジなのだった。吉村家だ、わかんねーけど。

バンドブームなんてのもあった。これも幾人もの“創業オヤジ“を生んだ現象であった。
そういえば、ネット産業も一時期はロックな感じの空気感を出していたし、「ホリエモン」という創業者アイコンの暴走は、バブル期のとんねるずと重なって見えた。

今は「お笑い」も「ロック」も“終わってる“時代である。
芸人ほどつまらない仕事もないんじゃないかと思う。ロックはゴリゴリの「商品」だ。
それも双方がジャンルとして成熟したからである。経済的に自立した大人期にあるのだ。

私が個人的にお笑いに感じたものと、ロックに感じたもの、ひいてはラーメンに感じたものは、人類創生の昔からある、後の“ロック的なるもの”と相通ずるに違いない。それは膠着化したものをブレークスルーするにはとても役立つ技術と、精神性だ。
演芸も退屈だった、音楽は特権的すぎて気が引けた、ラーメンに期待する方が間違ってる。そんな抑圧を開放し、凝り固まった価値観をひっくり返す暴力的なアイデアが私は好きだ。おかしみの果てにある“面白味“を感じるのである。

一つの文化が起こり、やがて成熟し、退屈を生むのは仕方がないことである。逆に言えば、そうなる可能性のないジャンルなど「確立」以前に消える。

現実世界は解答がないことなんてあたりまえだ。ぼくだったら、お金が足らないから、新しいwebサービスは個人でしかやれないという法則?を発見したときは、じゃあ、自分はお金をどっかからもってきて勝負すれば、相当、ライバルは減るよね、とか考える。お金使って、人使って、小回り効かす方法なんていくらでもあるし。

ふたりとも儲からないから個人でやるべきとかいいながら、最終的には大成功を夢見ているし、それができると仮定している。だったら、金使っても回収はできるはずだ。ここでもふたりの結論はロジカルじゃない。解があること前提の思考なのだ。でも、解があるかどうかの証明ができないから、確信がもてずに、賭け金をけちっているだけのはなしなのだ。